父親の転勤で小学校3年生から中学校2年生まで台湾で暮らしていたという中久さんは、全く中国語が出来ないにも関わらず日本人学校ではなく、現地の小学校に通っていました。
「喋れない、コミュニケーションがとれない、授業で何を言っているのかわからないなど、最初はとても辛かったです。台湾は割と親日だったので周りには優しくしてもらっていましたが、なかなか友達はできませんでした」
両親ともに日本人である中久さんは、引っ越すまで中国語に触れたことすらなかったといいます。現地の小学校に通っていたのは、幼い頃に中国語を覚えておくと将来的に良いというご両親の方針でした。
「テレビで中国語の字幕を見たりしているうちに徐々に中国語を覚えていきました。幼くて頭が柔らかかったからか1年ほどでペラペラになっていました」
ご両親の方針通り、中国語を覚えることができたという中久さん。中国語と日本にいた頃から続けていたサッカーを通じて徐々に友達もできるようになりました。しかし、帰国後は中国語を話す機会がなく、大学生になるまで友達にも中国語が話せるということは隠していました。
「個人的には中国語が話せることに対して少し恥ずかしい気持ちがありました。強いて言えば、センター試験の英語を中国語に変えて点数を稼いだくらいですかね。笑」